SUCRA検索
  
     詳細検索
インデックスツリー

詳細



閲覧数:352
ID KY-AA11946779-13-02
アイテムタイプ Article
このアイテムを表示する
本文 KY-AA11946779-13-02.pdf
Type : application/pdf Download
Size : 1.1 MB
Last updated : Apr 26, 2016
Downloads : 342

Total downloads since Apr 26, 2016 : 343
タイトル 日本におけるベトナム反戦運動史の一研究 : 福岡・十の日デモの時代 (3)《論文》
別タイトル
A Study on Anti-Vietnam War Movements in Japan 1965–1967, with special reference to Fukuoka City (3)
著者
市橋, 秀夫 (ICHIHASHI, Hideo)
埼玉大学大学院文化科学研究科教授
[出版社版]
出版者 埼玉大学大学院人文社会科学研究科
日付
出版年: 2016 - 2016
作成日: 2016-04-15
更新日
上位タイトル
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程 (学際系) 紀要 (Journal of Japanese & Asian studies). Vol.13, (2016. 3) ,p.15- 41
識別番号
ISSN
13490028
抄録 日本各地域に存在したベトナム戦争反対運動のなかでも,息の長い運動を続けたのが福岡市におけるベトナム反戦市民運動(「福岡ベ平連」)であった。その活動の前身となったのが「十の日デモ」と呼ばれた定例デモで,1965年から1973年までの間のおよそ7年半,ほぼ休みなく月3回,市民によって続けられた。本論考は3部構成の第3部に当たり,「福岡ベ平連」が発足する前の1965年4月から1967年末までのおよそ3年間を「十の日デモの時代」と名付けて検討対象とし,福岡におけるベトナム反戦市民運動の発足の経緯と運動の展開過程を明らかにするものである。
本誌11号および12号掲載の第1部,第2部の論考で明らかにしたように,福岡における十の日デモは九州大学の数学者たちが重要な担い手となって発足したものであった。しかし,1966年6月からは,福岡以外の日本諸地域におけるベトナム反戦市民運動との連携が東京のベ平連を媒介にして始まっている。本稿では,福岡における十の日デモが,そうした全国的なベトナム反戦のための連携ネットワーク形成にどのような経緯で接続,参与していったのかという点をまず検討する。
ほぼ同じころ,十の日デモの参加者にも変化が見られるようになる。労働組合に組織された若い世代の労働者たちがデモに参加するようになった。また,九州大学の学生たちの参加も,医学部の学生たちが独自の反戦グループを作って主体的に参加するようになる。また,個人として十の日デモに主体的に参加するようになった九州大学の学生についても,3事例で具体的に検討していく。さらには,九州大学以外の学生の参加も次第にみられるようになる。その事例についても紹介する。
1965年2月のベトナム北爆から68年1月の佐世保闘争までの約3年のあいだ,九大学生が大衆的な規模で最もこだわった問題は,ベトナム反戦でも日韓条約闘争でもなく,67年初夏の教養部田島寮の寮祭の樽神輿コースおよび九大学生祭の仮装行列コースの変更問題をめぐるものだった。このいわば「フェスティヴァル」の自治と自由に対する警察の介入に対してみせた九大学生たちの行動には,その後の大学闘争やベトナム反戦運動を予見させるものがあった。その点をみていく。
最後に,十の日デモに対する当時の福岡市民の評価と態度を確認しつつ,さまざまな批判に応えつつ,デモ参加者たちがどのように自らのデモを位置づけていたのかを確認してみたい。

Amongst many anti-Vietnam War movements in Japan, one of the longest sustained is that of Fukuoka city in Kyusyu. The focus of the movement was Jū-no-hi-demo’ or Tō-no-hi-demo, citizen’s protest walks in the city centre, organized every 10th day of the month from 1965 to 1973.
However, its characteristics and membership changed substantially in the first half of 1968. The author of this article thus named the first three years before 1968 as Tō-no-hi-demo no Jidai (‘the years of the tenth day protest walk’), and wrote a historical essay focusing on the period. This examined the birth and development of the Fukuoka citizens’ protest movement against the Vietnam War as well as placing it in the much wider national context of the anti-Vietnam War movement across Japan. This article is the third, the final part of that essay.
As discussed in the previous parts of the essay, Tō-no-hi-demo no kai (Association for the Tenth Day Protest Walk) started with several mathematicians of Kyusyu University as its main membership. But by June 1966, Tō-no-hi-demo no kai began to collaborate with an anti-Vietnam War movement in Tokyo. This, so-called ‘Tokyo Beheiren’, proposed a nation-wide lecture tour on war on Vietnam, and Tō-no-hi-demo no kai accepted that it would host a public lecture in Fukuoka. This article firstly examines the process in which Tō-no-hi-demo no kai began to make connections with other anti-Vietnam war movements outside Fukuoka.
Along the gradual formation of the anti-Vietanm war network with groups of other regions, To-no-hi-demo began to attract participants of more varied backgrounds. Trade union members of younger generations, an anti-war group of medical students, and students from universities other than Kyusyu University joined the demo. The second topic the article examines is the expansion of participants in Tō-no-hi-demo.
Thirdly, the article looked at the Kyusyu university student’s protest actions against the local police who tried to regulate the student’s festival procession on the main city road. The procession had been running annually for many years, and the attempts from the police to limit it gave rise to the massive direct protest action from the students. Although this was not an anti-war protest in any sense, it seems to have revealed the ethos and attitudes of the students at the time.
Lastly, the article examined the reaction to Tō-no-hi-demo among the general public in Fukuoka, as well as evaluates the self-awareness of the participants.
目次 0.はじめに
1. ベトナム侵略戦争に抗議する九大研究者たち 1965年4月
1-1. 九大教授団,安保以来の抗議声明とデモ
1-2. 青山道夫
1-3. 具島兼三郎
1-4. 都留大治郎
1-5. 福岡安保問題懇話会
2.全国各地でみられたベトナム侵略戦争反対の意思表示 1965年2月~1966年6月
2-1. 全国各地で知識人たちが抗議声明
2-2. 市民の自発的なベトナム反戦行動
2-3. 政党や労働組合など既成組織によるベトナム反戦運動と日韓条約反対運動
2-4. マス・メディアによって喚起された市民によるベトナム侵略反対
2-5. ベトナム侵略反対と日韓条約反対—―日韓条約反対運動の難しさ
2-6. 自発性と個人性を求める流れ—―ベ平連と反戦青年委員会
2-7. 労働運動における反戦ストライキの困難
3.小括
(以上,本誌11号に掲載)

4. 承前(1)
5. 福岡での既成組織によるベトナム反戦運動 1960年代初頭~1967年12月
5-1. 福岡での反米軍基地運動
5-2. 米国のアジア反共産主義軍事戦略と九州北部
5-3. 改憲・核武装阻止福岡県会議
5-4. 小林栄三郎
5-5. 福岡県下米軍基地を通したベトナム戦争への加担への抗議
5-6. 福岡県反戦青年委員会の結成
5-7. 田川地区反戦青年委員会
5-8. 日韓条約闘争後の福岡でのベトナム反戦運動
6. 数学者のベトナム反戦活動とその背景――若手数学者たちの戦後経験
6-1. カリフォルニア大学「ベトナムの日委員会」に署名電報
6-2. ベト数懇の発足
6-3. 若き数学者たちの運動――東大SSS
6-4. 九大数学教室の戦後
7. 九大十の日デモの会の発足 1965年10月~
7-1. 直接のきっかけ
7-2. 社会党を良くする会
7-3. 渡辺毅,倉田令二朗
7-4. 倉田ヒデ子
7-5. 山田俊雄
7-6. 金原ヒューマニズム
7-7. 十の日デモの由来
7-8. 東京ベ平連との関わり――意識していたが無関係
7-9. 十の日デモは誰が参加して始まり,どのように行なわれていたか
7-10. 十の日デモの特色
8. 小括(2)
(以上,本誌12号に掲載)

9. 承前(2)
10. 東京ベ平連との連携 1966年6月~
10-1. 福岡での全国縦断日米反戦講演会
10-2. 山田俊雄の日米市民会議(東京)への参加
11. 労働者と学生の参加
11-1. 九大医学部生による「ベトナム戦争反対に起ち上がる会」
11-2. 個人として参加した学生たち
11-3. 東京ベ平連と連携した講演会を継続開催
11-4. 九大以外の学生の参加
11-5. 既成組織の行なうベトナム反戦運動との違い
12. 安保以来最大の九大生デモ――樽神輿と仮装行列
13. 十の日デモの広がりとその評価
13-1. 福岡市民の十の日デモ評価
13-2. 組織による運動と市民個人による運動
14. まとめにかえて
キーワード
反戦運動
ベトナム戦争
福岡市
anti-war movements
Vietnam War
Fukuoka City
Tō-no-hi-demo
言語
jpn
資源タイプ text
ジャンル Departmental Bulletin Paper
著者版フラグ publisher
Index
/ Public / 主題別 / 人文学 / 史学 / 日本史
/ Public / ジャンル別 / 研究紀要 / 埼玉大学 / 日本アジア研究
/ Public / 埼玉大学 / 人文社会科学研究科
関連アイテム


メインメニュー
SUCRAについて
リンク
SUCRAログイン
ユーザ名

パスワード